この先、小中学校の教師って存在価値あるの?

立て続けに小学校の教師による問題行動が報じられたんで、教師という職業のあり方っていうか存在意義について、おいちゃんなりの考えを書いてみます。

まずは、そのきっかけとなった記事を2つご覧ください。

校外学習で水筒忘れた児童、教諭が水分取らせず

市教委によると、男性教諭は都から派遣された臨時職員で、4月から同小に勤務。7月10日に行われた校外学習で近くの寺に向かう際、水筒を忘れた児童に「出発前に学校で水をたくさん飲んでいけばいい」などと言って、水分補給などの対策を取らなかった。児童は強い日差しの中、往復30分の道のりを歩き、寺での学習の時間も含め約1時間、水を飲むことができなかった。

市教委は今回の件とは別に、男性教諭に対して2回、口頭で注意していた。別の児童に「死ね」と発言するなど、不適切な言動を繰り返したとしている。

2018年08月16日 読売新聞Webサイトより

テスト不合格の児童らに教諭「大学行けないよ」

2017年5月、青森県五所川原市内の市立小学校で、学級担任の男性教諭がテストで不合格だった児童10人を起立させ「大学に行けなくなる」などと発言し、1人が2週間ほど学校を休んでいたことが16日、県教育委員会への取材で分かった。

2018年08月17日 読売新聞Webサイトより

脅迫・暴力・差別はあたりまえだった教師たち

おいちゃんが通った小学校にはあまり変な教師はいなかったけど、中学には今ならすぐクビになるようなトンデモナイ教師がゴロゴロいたよ。

  • 何かあるとすぐに「内申書に響くぞ」と生徒を脅す教師
  • 天気が悪いってだけで生徒を殴る教師
  • おとなしい生徒に変なあだ名をつけてからかう教師
  • 嫌いな生徒はあからさまに無視する教師
  • 逆らった生徒に授業時間を使って延々と嫌味を言い続ける教師

とかね、もうトンデモナイ教師がゴロゴロいた。

ってか、まともな教師のほうが少なかったんじゃねえか? って思う。

おいちゃんも中学時代は教師にすっごい嫌われていたから、今思い出してもむかっ腹立つことがたくさんあった。

実は上に挙げた中で最後の2つは、おいちゃんが教師にやられた例なんだけどね。

義務教育の目的は労働力の養成

ちょっと横道にそれるけど、そもそも義務教育って何のためにあるのか、根本的なところを確認しとこう。

日本は江戸時代から割と教育が盛んな国で、武士の子供たちは藩校に通い、町民や農民の子供たちは寺子屋や私塾に通って、読み書きの他に生活に役立つ実用的なことも習っていた。

でもこれじゃあ地域によって教育内容やレベルが違うから、明治政府は教育内容を全国的に統一して、日本人なら誰でも(ある程度)同じように読み書きや計算ができるようにしたんだ。

その目的は欧米の強国に追い付き追い越すために、均一な品質の労働者を大量生産するため。つまり学校は資本家にとって使いやすい画一的な労働者を作るためのプラント(工場)という面が強い。

だから反抗的な生徒や問題を起こす生徒、成績の悪い生徒は、教師という品質管理者から見れば許せない不良品なわけ。

そもそも教師って、いったい何をする仕事?

その教師も労働力を生産するための労働者でもあります。だから学習指導要領に基づいて授業を行う。

でも勉強を教えることなら、予備校や塾の講師のほうがはるかに上手だよね?

予備校の講師は、わかりやすいかどうかで生徒から評価されたり、経営者からも合格率で判断される。だから、どう教えたら生徒たちが理解できるかと常に技術を磨く。

それに対して、学校の教師の教える技術は低い。そして低くても彼らの成績や生活には、まったく影響ない。

おいちゃんの中学時代も、

  • 基本的な文法への質問に答えられない英語教師
  • 教科書の内容を板書するだけの社会科教師
  • 「おまえが走れよ」って言いたくなるメタボなオッサンの体育教師
  • 派手な色使いでキチガイみたいな絵を描けばいい成績をつける美術教師

そんな教師がゴロゴロいた。

こういうと、「学校の先生の仕事は授業だけじゃない。生活指導も大切な仕事だ!」っていう人もいると思う。

でもね、教師による生活指導なんて必要ない!

そもそも、人間性に問題のある教師に他人の子供の生活態度を指導できるの?

っていうか、教師が言う「生活指導」っていうのは、ただ教師に都合がいいように生徒を従順に躾けて管理するってこと。

ほんとうに生徒の生活指導をちゃんとしようと思うなら、外部の人間を入れて情操教育するとか、とにかく成績の考査に影響力を持たない人に任せるほうがいいと思う。

正直、このあたりはおいちゃんも具体的にどうすればいいか、よくわからない。

でも、教師に都合のいい生活指導は必要ない、ってことはハッキリ言える。

起立・礼も必要なし!

今でもやってるのか知らないけど、授業の始まりと終わりに「起立・礼・着席」って言って、生徒が教師に挨拶する習慣、あれもいらない。全然いらない。

「起立・礼」なんて、生徒が教師に教えていただくっていう思想が前提になってるけど、教師が授業をするのは彼らの仕事っていう、ただそれだけ。

いちいち「起立・礼・着席」なんて強制するのは、自分たち教師を敬うのがあたりまえ、っていう驕りでしかない。

そんなこと言うとまた、「きちんと礼儀を躾けるのも学校教育の意義だ」って言われるかもしれないけど、それは家庭教育でしっかりやれ!

卒業式で日の丸を掲揚しなかったり「君が代」斉唱で起立を拒否するような非国民に礼儀がどうとか言う資格はない。

そのくせ「仰げば尊し」は歌えとか、ふざけんなよ?

もし会社員がね、「俺は社長が嫌いだから挨拶はしないし、社歌も歌わない」って言ったらどうなる? 「じゃあ会社やめろよ!」ってなるのがあたりまえだよね。

公立校の教師が日本国民の税金から給料を得ながら、国旗掲揚も国歌斉唱も拒否するっていうなら、「じゃあ教師やめろよ!」っていう話。それだけのこと。

不登校でも卒業させるなら、学校も教師も必要ない

おいちゃん、だんだんむかっ腹が立ってきて文体がちょっと乱暴になってきたけど(^^;) 教師が必要ないっていうのは、実は今の義務教育が自ら認めていることなんだ。

だってね、不登校で学校に来ない生徒だって、時期が来れば同級生と一緒に強制的に卒業させるでしょ?

それって、学校に通って教師の授業を受ける必要はないって、教師たちが自ら認めているじゃない。

だったら、別に学校も教師もいらないってことじゃん!

おいちゃん、実は日本の教育システムはもう一度、昔の寺子屋や私塾みたいにするほうがいいんじゃないかと思ってるんだけど、それはまたこのブログで考えてみる。

この記事は読んだ人の数だけ賛否があるだろうけど、少子高齢化で労働人口が減少するのが分かっていながら、いつまでも今のままの義務教育なんか続けていてもいいのか? っていう、おいちゃんなりの危機感があるからこそ、ちょっと過激な意見でも言わせてもらったよ。

したっけね!

スポンサーリンク

シェアする

フォローする