核なき世界という無責任な幻想 現実的な対処法を

2018年8月6日は広島に原爆が投下されてから73年目の「原爆の日」。そのときに被害にあわれた方たちに追悼の意を表すると同時に、二度と日本国民の頭上に核兵器を落とさせてはいけないと意を新たにする日でもあります。

アメリカが日本に落とした原子力爆弾は明らかに国際法違反で、「戦争を1日も早く終わらせるために必要だった」というアメリカの言い分は自分たちが行った虐殺行為を正当化する詭弁でしかない。

第二次世界大戦と呼ばれるあの戦争では、ナチスのヒトラーが人類史上で最も酷い独裁者のように言われているけど、おいちゃんたち日本人にとっては、当時のルーズベルト米大統領も他民族を虐殺したということでは、ヒトラーと同じだと思うんだ。

ヒトラーとルーズベルト、この二人にどこか違うところがあるとすれば、敗者と勝者という立場だけです。

被爆73年、広島で平和式典 「核なき世界へ役割果たせ」

広島は6日、被爆から73年の「原爆の日」を迎えた。広島市中区の平和記念公園では午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれた。松井一実市長は平和宣言で、日本政府に対し「憲法の平和主義を体現するためにも、国際社会が核なき世界へ向けた対話と協調を進めるよう役割を果たしてほしい」と主張。一方、核兵器禁止条約への批准を直接的な表現では求めなかった。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/215889

原爆を落とされた広島としては、二度とあんな悲劇が繰り返されてはならないと思うのは当然。

ただ、北朝鮮の核開発を見てもわかるように、現実は「核なき世界」どころか「核ある世界」にまっしぐら。

もちろん、世界中から核兵器が一つもなくなれば素晴らしいことだし、そんな世界がいつの日か来て欲しいと思うのはおいちゃんも同じです。

でもね、二度と日本人の頭上に核を落とされないようにするには、きちんと現実を見て、どう対処するべきなのかを考えなければいけないと思います。

そのために必要なのは日本を、いざとなったら戦うぞと言える「ふつうの国」にすること。具体的には憲法9条を改正して、自衛隊を日本軍にして交戦権を取り戻すこと。そして、いつでも核武装できるようにすること。

日本も核武装しろ、というと脊髄反射的に反対する人たちがいるけど、身を守るためには敵が嫌がることをするしかないんだよ。つまり、相手がこっちに手を出そうとは思わないようにすることが必要。

例えば、チンピラがヤクザに喧嘩売ることはしないよね。ヤクザも警察官に喧嘩を売ることはしない。つまり、相手が自分より強そうだったりヤバそうだったら手を出そうとは思わない。

相手に「こいつはヤバイぜ!」と思わせることが抑止力というもので、それが余計な争いを未然に防ぐために役立つんだよ。

日本は戦争という国同士の喧嘩に負けて、アメリカの子分になってしまった。でも、そこには
「やるな、お前!」
「そっちこそやるじゃねえか」
「よう、俺たち兄弟分になろうぜ!」
なんて、くさい友情ごっこはなくて、勝ったアメリカは70年以上経った今でも日本を家来のように扱っているし、日本は一度負けただけで未だに頭を下げ続けている。

そしてアメリカは「日本は俺たちがさしてやる核の傘の下にいればいいんだ」というけど、ほんとうに日本を守ってくれるのかは疑わしい。

もし、中国や北朝鮮が日本に核ミサイルを撃ち込んだら、アメリカは必ず日本のために中国や北朝鮮に核ミサイルを打ち込んでくれるのか? おいちゃん、そんなことはないだろうと思う。

こんな話がある。

アメリカとソ連が冷戦中だったころにフランスが核武装をしようとしたとき、当時のケネディ・アメリカ大統領は、フランスのド・ゴール大統領に、「いざとなったらアメリカが代わりに攻撃してやるから、フランスが核武装する必要はないよ」と言った。

そう言われたド・ゴール大統領が「それでアメリカにソ連の核ミサイルが撃ち込まれることになっても、お前はフランスのために必ず核ミサイルを打ってくれるのか?」と言ったら、ケネディ大統領は答えられなかった、という話がある。

このときのド・ゴール大統領の対応こそが、自国民の頭上に核ミサイルを打たせないための現実的な対処方法というものじゃないかと、おいちゃんは思う。

憲法9条を守れ! 核武装反対! 安倍政治を許さない!

そんなことを言っても、日本国民の命は守れない。

護憲派のみなさん、憲法を守るために死ねますか?

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